06. 12月 2013 · コメントは受け付けていません。 · Categories: コード理論, ピアノレッスン
ポピュラーで使うコード譜ってこういうかんじ

ポピュラーで使うコード譜ってこういうかんじ

 ■クラシック・ピアノとポピュラー・ピアノの違い


ピアノを習う、という場合、二つの大きな選択肢があります。

クラシックなのか、ポピュラー(ジャズも含む)なのか、です。

単にとりあげる曲の違いというよりも、もっと根本的な違いがあります。

簡単に言えば、

右手も左手もすべて楽譜に書かれていて、その通りに弾くのがクラシック。

メロディーとコードネームだけが書かれていて、

コードを元に自分で弾く内容を考えるのがポピュラー。

ということです。

だから、ぜんぶ書いてある楽譜を読んで弾くのであれば、

曲がポップスであろうと、ジャズであろうと、Jポップであろうと

それは、方法論的には「クラシック」である、と私はとらえています。

 

クラシックのよいところは、

書いてある指示通りに鍵盤が押せればとりあえず曲になり、

楽譜を読む力と、指を動かすテクニック、解釈し表現する力によって

どんどんサマになってくるところ。

「言われたことに従う」ことが得意な人には向いています。

 

ポピュラーのよいところは、コードを元に自分でやることを決めて弾けること。

つまり多様な選択肢の中から自分の好きなサウンドを選び、

「好きなように!自由に!気の向くままに!」表現できること。

「好きなように自由にやる」ことが得意な人には向いています。

 

私自身は、いちおうクラシックもそこそこやりましたけども、

大学はピアノ科ではなく作曲科出身ということからもわかる通り、昔から

楽譜通りコツコツやるよりも、自分で好きにアレンジして弾くのが好きでした。

大学生のころからジャズピアノを習い、その後もポップス畑で仕事をしていたことから、

今でもコードで音楽を捉えて弾く方がだんぜん得意です。

 

そういう私の立場から見ると、

クラシックだけしか知らないでピアノを弾いていることは、

残念だなーというか、もったいないなーと感じてしまうところがあります。

 

■クラシック・ピアノの、残念な「あるある」

クラシック・ピアノの勉強は通常、

楽譜の読み方はやりますが、和音の理論はやりません。

音大へ行くと、必修で「和声」の授業があったりするから

いちおうみんな学ぶはずですが、

集団授業でノートの読み書きだけの勉強をしていても

使いこなせるまで身に付いているかどうかは疑問なところ。

 

ということはつまり、ほとんどのクラシック・ピアノの生徒さんは

自分が弾いている和音は要するに何で、

このメロディーになぜその和音がついていて、

どういうわけでこの音がここにあって、

なぜ次にそっちの音や和音に移動しているのか・・・などの

深い意味を全然わかっていなくても、

なんか達者に弾けるようになってたりするわけです。

 

極端な話、ベートーベンやショパンはバリバリ弾けるのに、

ちょっとお友達のお誕生日に「ハッピーバースデー弾いて」なんていわれると

「えーっ、楽譜がないからムリムリ!」

「適当にったって、左手は、和音はどうしたらいいのーっ!?」って

シドモドしちゃって、

結局どうにかこうにか、ハ長調でドミソとシレソだけで

ブンチャッチャッとやって乗り切ったけど

男性も女性もキーが合わなくて声がでない・・・みたいな。

(ちなみに男性・女性みんなが普通に歌えるキーは、ヘ長調かト長調ですよー)

お友達からしてみれば

「アレ?〇〇さんて、すごいピアノ弾けるんじゃなかったっけ(^ ^;;」みたいな。

そんなことにもなりかねません。

 

■コードをわかって弾く、ということ

それってホントに音楽わかってることになるんだろうかなあ?

私個人的には、長年ちょっとひっかかっている疑問です。

 

技術があって、達者に弾けるのはすばらしいことだから、いいんです。

そこまでがんばったこと自体、えらいです。

でもね、私としては、そこをもう一歩!

音楽の深い意味と理由をわかって弾いたらもっと素晴らしいよ〜

知ってる曲ぐらい自力で弾けるようになったらもっと楽しいよ〜

って思うんです。

だから個人的には、ポピュラーピアノ、つまりコードでピアノを弾く勉強は

どなたさまにもおすすめしたいことなんです。

 

一般的に迷信のように言われている

「ポピュラーをやったら手が荒れるからやめなさい」とか

「もうクラシックには戻れないぞ」とか・・・・・そんなのは、

知らない世界を恐れているだけの迷信にすぎないと、私は思っています。

第一線のコンサートピアニストならいざ知らず、

普通の、楽しみのために弾くぐらいの方が、そんなオドシに負けて

いつまでも「楽譜様」に服従する世界だけに縛られてることないって!!( ー`дー´)キリッ

 

コードをわかって弾けると、早い話が実用的です。

テキトー力(りょく)が身に付く。

テキトーに弾けるということは、柔軟対応ができるということで、

実際、音楽を求められるような場、人の集まるような場では、

そういう力がモノをいったりするのです。

堅苦しいクラシック曲より、自分達の知っている親しみやすい曲の方を

喜ぶ人達も多いからです。

音楽療法の世界でコード弾きが必須なのは、まさにそういった理由からです。

 

■すばらしい自由と自立の世界へ

そしてさらにいうと、コードがわかって弾けるということは

音楽そのものの理解であり、音楽的自立だと思うのです。

言われたこと(楽譜)に忠実に従うだけでなく、

自分に選択権決定権がある。

自分で感じ判断し、決定し、実行する。

まさに、自立自力です。

相手(もともとの曲)の意図するところをちゃんと汲んであげながらも、

その時その場の空気を感じ、思ったことを表現する。

 在り方・生き方としても、素敵なことです。

 

音楽において、そんな在り方・生き方を体験することは

きっと深いところで、

その人自身の、在り方生き方にも影響を与えるかもしれません。

 

自由であるその分、最初は

「何をしたらいいかわからない」というたいへんさがあるかもしれません。

原則の理解と応用の引き出しを揃えていくのが、

こっちの道の勉強の仕方になります。

たいへんだけど、「わかる喜び」というのがあります。

すばらしい、コード弾きの世界。

 

次回から、コード弾きについてのテクニカルなお話をしたいと思います。

 

 

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