30. 4月 2014 · 思っていることが音に出るから恐ろしく、また素晴らしい はコメントを受け付けていません。 · Categories: 音楽表現

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 ■けっこう音に出ています
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ピアノを弾いている時、何を考えて弾いていますか?

その時、その瞬間、

何を感じながら、弾いていますか?

頭の中には何が駆け巡っているか、

考えたことはありますか?

不思議なようですが、出てくる音には、

弾いているその人が考えていることや感じていること、

心の状態、意識のありよう、といったものまでが

”乗って”現れるものです。

 

それぞれ、特定の曲を弾いていたとしても、

その曲という音符情報の奥から伝わってくるものは

その人の内面の状態といってもいいものです。

 

頭の中が「ドレミ」を追いかけるので精一杯の人からは

「ドレミを追いかけるので精一杯ですーッ」というかんじの

たどたどしい音がします。

 

「きちんとやらなきゃ!ハイ、きっちり。ハイ、間違えないように。」

といったことで頭が一杯だと、やはりそういう音がします。

 

「嫌だわ〜、自信ないわ〜、すいません、あたしなんか・・・」

といったことで頭が一杯だと、やはりそういう音がします。

 

「俺すごいだろ、な?な?すごいだろ、惚れるだろ?」

とギラギラしながら弾いていると、やはりそういう音がします。

 

■一台のピアノでも、オーケストラが鳴る
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さらに、

ピアノを弾きながら、何を想像しているか。

どういうつもりで、ピアノを弾いているか。

ここにも、かなり違いが出ます。

 

「これはピアノで、 今私は一人でピアノを弾いている。」

と思って弾いていると、

あくまでも、一人で弾いているピアノの音がするけれど

 

頭の中にはオーケストラが鳴っていて、

オーケストラの各楽器がこう動いて、

今鳴っているメロディーは木管で、それに下からチェロがこう絡んで・・・

と思って弾いていると、

まるでその楽器が鳴っているような印象で伝わります。

 

ここは全オケで一斉にダダンッとフォルテ!と思って弾くと

本当に、オーケストラのような厚みと迫力と華やかさを感じさせる音で

一台のピアノが鳴ったりします。

 

あるいは

頭の中に、ドラムとベースが鳴っていて、

そして自分が今やっているこの和音はホーンセクションが

バキバキッとキメているんだ、と思って弾いていると

ちゃんとビッグバンドが鳴っているような印象になるものです。

 

それはさらに

今ここはどこで、何の景色を見ているか。

ということにもなってきます。

 

「私は今、自宅レッスン室でおけいこ中です。」

としか思わずに弾いていると、

「ここはレッスン室。おけいこ中の私。」という音がします。

 

「ここはスペイン、グラナダの路地裏。晩夏の夕暮れ。

残る石畳の熱、石塀からこぼれて咲く花の匂い、灯り始めたバルの灯り・・・」

などを感じながら弾いていると、

鮮やかな「グラナダの夕刻の景色」がその場に現れたりします。

 

いや、ほんとに。

芸事の力って、そういうこと。

 

■そこに景色が現れる、リアリティの力
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以前コンサートで見た、ある達人オペラ歌手の方。

日本語の歌でした。

少し目線を上にしながら「月が・・・」って歌ったら

ほんとに月が出てるんですよ。

いや、目には見えませんよ。

でも、みんなの心の目に、月が出ているのが見えるのです。

もうそこは、一瞬にして月の晩です。

なぜなら、歌っているご本人が

ちゃんと心の目で、そこに月を見ているからです。

 

それから、あるライブで見た

達人のベーシストとヴォーカリストのお話。

通常はバンドで演奏されるような、激しいリズムの曲を

たった2人だけでやり始めました。

楽器はベースですから、低音のラインだけです。

そこに歌が乗るだけ。

なのに、2人の音の間に、ドラムが聞こえ、パーカッションが聞こえ、

ギターやピアノが聞こえ・・・まるでバンドのようでした。

なぜなら、2人が、

ちゃんと心の耳で、ドラムを聴き、パーカッションを聴き、

ギターやピアノまでも聴いていたからです。

 

伝わるというのはそういうことです。

 

音と音の「間」から、「奥」から

今ここを超えた、場所と情景が鮮やかに浮かび上がり

今ここを超えた、多様で豊かな音が響いてくる。

 

それはひとえに、演者がどれだけ想像の上で

その場所にいるか。

それを感じているか。

それを見ているか。

それを聴いているか。

 

心で見る力・聴く力・感じる力・在る力。

そのリアリティの深さが、

伝わるリアリティの深さになるのだと思います。

 

■言葉と間だけで、映像があらわれる話芸
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そういう芸のすごさ、おもしろさを、私は落語に感じることがあります。

私が気に入っている、柳家小三治の「芝浜」。

映像なしで、音声だけ聴いていても

中盤、主人公が芝の海岸で夜明けを待つシーンは

なんたる美しさでしょうか。

 

冬の夜の冷気、夜明けの光の加減、

穏やかに波が打ち寄せる砂浜、潮の匂い・・・・

わずかな言葉と間だけで、なんでここまで「見える」んだろう。

 

もちろん、磨き抜かれた話し方ということではあります。

そして、その話し方の奥には、

やはり実際、ほんとに、演者自身がその場において

明け方の芝の浜にいて、その空気を感じて、

それを見ているからだと思うのです。

それがあった上での、話し方。

その、心で見る力・感じる力・在る力に、

私は感動するのです。

 

「芝浜」は古典落語の名作といわれる人情話です。

柳家小三治の端正な話し方が私は好きなので、おすすめしたいです。

耳だけの音声情報で、いかに色々なことが浮かび上がるか。

なんにもない、空白に見える「間」が、何を感じさせるか。

というのを実感してみることもできるので

お時間のある方はどうぞ。

 

 

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